海外ナンパ師のABC

外国の女性を抱くことについて

去勢された者達

  今日、四条の祇園祭に行ってきた。というよりも、四条通りに行ったら、道路が歩行者天国に変わっていて、祇園祭が開催されていることに気がついた。祇園祭自体は7月中ずっと行われているが、7月14日から16日は、前祭宵山と呼ばれる前夜祭的な期間で、17日のピークと合わせて1番盛り上がる時期だ。四条通りを西に真っ直ぐ行くとぶちあたる烏丸通では、露店が立ち並び歩くのも困難なほどの混み具合だった。夏前の気温も相まって熱気はすごい。

 安心してほしい。祇園祭のレビューを書くつもりなどはない。今日はタイトル通り、去勢について書こうと思う。京都の一大伝統行事と去勢、何の関係が!?と思われた人がいるかもしれない。おおいに関係アリだ。

 僕は祭りとかいったものが大好き……だった。厳密には祭りではないが、初めて1人で渋谷に行った時のことをよく覚えている。まぁ、渋谷ってのは毎日が祭りみたいな空間だから祭りと呼ぼう。あるいはハレの舞台とでも。中学2年とかそのくらいだった気がする。母親に自分で服を買いに行くよう言われ、バスで20分ほどかけて渋谷まで行った。衝撃だった。目の前を弾丸のように高速で通り過ぎる人びと。耳をつんざくような不快音を発するスクランブル交差点のビッグスクリーン。髪をうず高く盛ったギャル男やヤマンバ(当時はすでに希少生物だったがチラホラ見られた)。自分の家のすぐ近くにこんなとんでもない場所があるとはつゆ知らず、服を買うのも忘れて1日中歩きまわった――。まぁ、僕が言いたいのは祭り好きだったということだけで、渋谷の話は大して掘り下げて話すべきことではない。閑話休題。そんな感じで、他の大勢と違わず、非日常の世界をこよなく愛する人間だった。

 今回、熱気あふれる人混みを歩いていて気がついたのは、完全に冷め切った自分の姿だった。久しぶりにナンパでもするかと思って、フラフラ歩いてみたのだが、全く気分は高まらないし、声をかけたい気も起きない。仕方なしに近くを歩いていた人に無理矢理声をかけたのだが、後ろ姿からは想像できないほどのオバサンで、しかも小さな声で話す人だったので、僕は「アァ?」と何回も聞き直してしまい、気まずくなって逃げた。あれは失礼だったしキモかったと思う。

 帰り道、鴨川沿いを走りながら、なんで自分はこんなにパッションの薄いつまらない人間になってしまったのだろうとずっと考えていた。で、考えついた結論は、自分には「ケの日」がないということだ。当然だが、ハレの日が成り立つためにはケの日は不可欠だ。ハレの日はケの日からの解放としての役割があるから、ケの日が存在しなければ解放もクソもない。で、ケの日がないというのは、明らかに自分の怠惰な大学生活のせいだ。僕の大学(学部)は授業に出ないでも簡単に単位は取れるので、普段僕は大学に行かない。川沿いで本を読んだり、図書館のパソコンで調べ物をしたりしている。要するにダラダラしている。ケの日とは、古の農村社会では仕事をする日、つまり人生の大半を占める過酷でストレスの溜まる農作業の日々であった。そういう生活をしていると破綻が来るのは必然なので、ハレの日に一気に爆発させていた。僕の場合、ストレスが溜まることなどないので、爆発させるものがないのだ。去年、大学の知人とご飯に行った時に、彼が「我が人生穏やかなる海のごとし」的なことを言っていて深く共感したのをよく覚えている。

 まぁ、生きてるのつまんねーっていう話である。怒らないで下さい。自分でも楽しもうとして、こんな凡庸なことをまわりくどく書いているんだから。

 やっぱりメリハリは大事だ。ところで、メリがケでハリがハレなんでしょうかね?ちょっと日本語が危うくなってきた。

 ストレス社会に生きているあなた。学生ニートの僕がうらやましいだろうけど、僕もあなたがうらやましいです。溜めて溜めて休日に思いっきり射精する。それこそ濃密な人生ではないでしょうか?ストレスは最高の精力増強剤です。高麗人蔘なんか食べてる場合じゃない。その昔、橋下市長が、沖縄の米兵はストレスで性欲が有り余っているんだから、売春婦をあてがってやれ的な事を言って顰蹙を買っていたけれど、この発言の是非はともかく、軍隊とかの過度な抑圧のもとだと人一倍性欲が強くなるということに限っては正しいと思う。毎日が退屈だ、性欲が沸かないなどのお悩みを持っている方は、自分を強制的に抑圧下に置く状況を作ってみてはいかがだろうか。自分はできるかぎりオナ禁をしようと思っている。後、無駄にしか思えないが大学の課題に力を入れようと思う。