海外ナンパ師のABC

外国の女性を抱くことについて

アルゼンチンナンパ Part 1 Lonely Planet

  アルゼンチン。人種の坩堝と呼ばれるブラジルの隣にあるにも関わらず、人種比率はヨーロッパ系率97%とモノクロ都市だ。中世にイタリア系、スペイン系ヨーロッパ人が植民して以来、南アメリカのヨーロッパとして、異彩を放ち続けた。首都ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれるほど、ヨーロッパ的な風味を持ち、ラテン国家と一括りにするのはできない。サン・マルティンアルゼンチンタンゴガウチョ、ボルヘスチェ・ゲバラ南アメリカ大陸のど真ん中にあるが、どこか古いヨーロッパを感じさせる。それでいてラテンの風も感じる。もっとも、古いヨーロッパというのが何たるものかは自分でも全くもって謎だが。

 そんなアルゼンチンの地にふとした理由をきっかけに足を踏み入れることになった。2週間。最初の1週間は観光だけして、残りの1週間でナンパでもして現地の女の子と一花咲かせようというのが僕の算段だった。

 ツイッターで所謂ナンパクラスタなるものに足を突っ込んで以来、色々思うところはあるのだが、やはりナンパは素晴らしいと思う。このスキルがあれば、世界中のどこに行っても、異国の地の匿名の人々と友達になることができる。ガイドブックにのっている観光名所を、仕事をこなすかのように回る退屈な観光もしなくて済む。

 

 と言っても、ナンパウィークが始まって最初の3日は、観光名所巡りよりもひどいものだった。あまりモチベーションがわかなく、ナンパ自体、あまりしなかった。何をしていたか正直覚えていない。もしかしたら、地蔵していたのかもしれない。それすら覚えていない。これはブエノスアイレスに来てから始まったことではなかった。今年の7月頃からなんというかナンパを中心に生きていくことに限界を感じていた。他に違う目標ができたし、女の尻を追いかけるのも悪くないが、世の中にはもっと面白いものがあるのだというのにちょっとずつ気が付き始めた。以前は、世界中でナンパしまくってスキルを上げ、ゆくゆくは海外の非モテ日本人をターゲットに外人ナンパを教えるナンパ講師になろうと本気で考えていたのに、数週間でガラッと考えが変わってしまった。

 そんなわけでナンパ倦怠期なるものに陥った状態からのツアー開幕であった。3日ほど、グダグダではあるが、ストリートナンパしてみてぶちあたったのは、やはり英語がほぼ通じないという困難だった。アルゼンチン人は総じて英語のレベルが低い。空港の職員ですら辛うじて話せる程度だ。英語1本で生活するとなれば相当苦労する。おまけに、連中は外国人だとわかっていてもスペイン語でペラペラと話し続ける。何故か頑なに英語を話そうとしないし、簡単な数字ですら一切口から出てこない。そして、あることに気がついた。アルゼンチン人は英語を話すということに関しては、日本人のように、いや日本人以上にものすごくシャイだ。僕がスペイン語をほぼ話せないと察すると英語で意思疎通を図ろうとしてくれる人が数人いたが、例外なく、恥ずかしそうにニヤニヤしながら小さな声で片言の英語をしゃべっていた。コミュニケーションに関しては結構もどかしい経験を何度もしたが、なぜか憎めない人ばかりだった。

 さて、路上での女の子たちの反応だが、総じて良かった。僕が外国人だったからかもしれない。ただ前述した通り、簡単な会話もほぼできないので、ナンパ以前の問題だ。これから海外ナンパをしようと思っている諸兄にアドバイスだが、スペイン語を話せないのであれば、アルゼンチンナンパはオススメできない。僕は身振り手振りでなんとかなるだろうと甘く考えていたが、そんなうまい話はそうそうない。ただ、女の子がかわいい、性格も良い子が多いのは保証する。

 そんなわけで前半の3日は何も起こることなく、怠惰で、決して自慢できるような活動は行っていなかった。あまり記憶がない。けど、夜寝る前が物凄く寂しかったのを覚えている。誰とも意思疎通ができないし、友達もいない、右も左もよくわからない異国の地のアパートのキングサイズベッドで寝るのは本当に寂しい。日本で寝た外国人の女達の顔を思い浮かべた。僕は彼女たちの寂しさを埋め合わせる奉仕精神とかそういうものは持ちあわせておらず、ただセックスがしたかっただけだったが、ある女にとっては、救世主のような存在だったのかもしれない。そういえば、僕にしがみつくようにセックスをする女が結構多かった気がする。目を瞑りながらなんとかしないといけないなとぼんやり考えていた。

 事態が好転し始めたのは、木曜日、3日目の夜からだった。

 

続く