海外ナンパ師のABC

外国の女性を抱くことについて

"I love Japan"な白人女達、おかず大国Japan

  

 "I love Japan."

 

 僕の前に座って、お茶をすすっていたドイツ人の女の子は笑顔でそう言った。

腑に落ちない答えだなと思いながらも、いつものことなので、それ以上追求することをやめる。

僕が聞きたかったのは、長期であれ短期であれ、どういう経緯で日本に移住しようと思ったのかということだ。

以前は、好奇心から「日本のどんなところが好きなのか」とか、更に問い詰めたが、彼女達は明確に答えようとしない。というかできない。決まってこう言う。

「お寺とか文化とかファッションとかアニメとか……、とにかく日本の全部が好きなの」

ちょっと乱暴すぎやしないだろうか?

でもこんなふうに答える外国人の女の子は実際に何人もいる。何故か欧米で生まれた白人の若い女の子達。白人であるにも関わらず、なんとなく格好とか物腰とかが日本人の女の子っぽいのも特徴だ。そして、自分の生まれた国があまり好きじゃない、戻りたくないという。

 

何度もそういった「日本大好き」白人女子に会ってみると、次第に彼女たちの意図せんことが伝わってくる。彼女達に「日本という国を意識しはじめたのはいつ頃からか」という質問を投げかけると、小さい頃テレビで見たセーラームーンだったり、ポケモンのゲームの話を嬉々として語り始める。つまり、彼女たちは、幼少期の幸せな思い出と日本をごっちゃにしている。「日本」について考えることで、退屈な今とは全く違った幸せな子供時代を思い出すことができる。自分の中に軸がなかったり、周りの現状に満足していないがために、「日本」に避難するという幼児退行。「日本を愛する」ことで、現実を拒絶する自慰行為。彼女達の目線の先にいるのは彼女達自身であった。

 

東浩紀編の『日本的想像力の未来』に収録されている日本文学研究家キース・ヴィンセントの講演の中にあった言葉は、そのことを端的に指摘している。彼が教鞭を取る大学の日本語学科では、アニメが好きだとかいう生徒達が押しかけるものの、日本文学の学習等、「日本を研究する」姿勢は感じられないという。

 

「日本語専攻の学生の多くは、何か無意識のレベルで、日本で勉強したら自分の子ども時代をもう一度追体験できるのではないかと夢想しているフシがあります。」

日本的想像力の未来?クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)

日本的想像力の未来?クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)

 

 

僕は日本を愛する白人女子ではないが、彼女達の気持ちはわかる。自分自身もそういうところがあるからだ。僕にとっての「日本」はアメリカだった。つい最近まで、なんとなくアメリカに移住することを考えていた。その考えは、今でも心の隅っこにしつこくこびりついたままだ。だが、アメリカが僕を愛してくれないのは疑いようのない真実だ。

 

横で寝ている彼女にもう一度同じ質問を投げかける。

「なんで日本に来たの?」

 

彼女は目を閉じたまま呟く。

 

"I love Japan."

 

その寝顔に思わず目を背けてしまう。

 


Pain of Salvation - Iter Impius

 

 

 

 

 

 

 

 

ネカマになったらリアルで女の子にモテた

 ネカマを知っているだろうか。そう、ネット上のオカマ、略してネカマだ。SNS等の匿名空間で顔が見えないことを利用して、女のふりをする野郎のことだ。実はこのネカマ、ナンパスキルを上げるのに非常に参考になることを最近発見した。なぜか?ズバリ、女の子の気持ちになって考える思考が身につくからだ。これからその事について、現役ナンパ師で元ネカマの私、酋長が詳細に解説したいと思う。

 

 女の子。はウンザリしている。大量のエロい人達があからさまに性的なアプローチをしてくることにだ。道端で知らない男からカワイイカワイイ言われ、クラブに着いたら尻を触られ、家に帰ってパソコンを開いたらペニスの写真を送りつけられる。

 下の動画は、美人な女の子のクラブでのPOV動画だ。POVとはPoint of Viewの略で一人称視点のことだ。AVとかでもよく使われるアレ。結構、参考になるし面白いので見ていただきたい。

youtu.be

 

 全員が全員こんな感じではないので、一般化するのは難しいが、的を得た動画であるとは思う。

 

 さて、ここからが本題だ。上記の話は目から鱗ってほどでもない。女の子は(美人であればあるほど)大量の男から飽きるほどアプローチされているっていうのを、童貞の人にもそうじゃない人にも確認してほしかったわけではあるが、わかったところでなんだかなって感じではないだろうか?街中でカッコイイカッコイイ言われるわけでもなく、クラブで股間を握られるわけでもなく、ネット上でヴァギナの写真を送りつけられるわけでもない我々にとって、いまいちピンと来ない話のはずだ。どうやったら彼女らの気持ちを真に理解することができる?タイに行って、性転換?

 そこでネカマの登場だ。かわいい女の子の写真を拝借して(twitter等の写真を無断で使うのはまずいので、難しいけど、なるべく倫理的な方法での写真入手をおすすめする)、プロフィールもヨガが趣味だとか、女の子っぽい感じの文章で埋める(ここでしてはいけないのは、「欲求不満です♡」とか書くことだ。業者だと思われる)。これであったら、去勢とか豊胸せずに、パソコンでささっと作業するだけで費用は0だ。すると、どうだろう。数日以内に何百通ものメッセージがバンバン送られてくる。内容は様々だが、「こんにちは」だとか退屈で雑なメッセージが大半を占め、時たま「俺のアソコをなめろ」みたいなのが来る。最初は、興味本位でいくつか返信するものの、すぐに飽きるはずだ。いくらメッセージを送っても、下心丸見えのつまらない返事しか返ってこない。これは実践してみればわかる。そして、あなたは心に刻む。出会い系でメッセージ送るにしろ、ストリートで声掛けするにしろ、女の子に他の男と同じような退屈させるような話題をふるのはやめよう、オリジナリティを持った誠実な声掛けをしようと。「女の気持ち」を本で知るのと、実際に体験するのは全く違う。体験して得た知識は、あなたの血となり肉となる。そして、自然と女の子を楽しませるようなアプローチ方法を考えるようになるはずだ。

 それ故、女の子の生活を追体験し、彼女らの気持ちを知る最も優れた方法はネカマなのだ。半信半疑のあなた、ものは試しです。直接的な因果関係かあるかどうかはわからないけれど、僕に関していうと、ネカマの経験を経た後は、セックスの成功確率が上がったのは事実としてある。毎日、性的な視線に晒されている彼女らにより深く共感できるようになるのは間違いなしだ。

 

 

 

 

 

 

 後、ネカマしてる時って、何故か妙に興奮する。


Queen - I Want To Break Free (High Qualit

 

 

 

 

 

 

 

Aspiring Fucking Changing~LAナンパツアー前半~

 2015年12月28日から2016年1月3日まで、公家シンジ氏とクラトロ氏が主催するLAナンパツアーに参加してきた。以下の文章は、ツアー支援のリターンとして、両氏が発行したツアー記に、僭越ながら付録させてもらったものである。題して、"Aspiring Fucking Changing"という。お気づきの方もあろうが、題名は、あの80年代初頭を風靡したダサイケロックバンドJourneyの名曲"Lovin` Touchin` Squeezin`"から取ったものだ。曲とツアーはなんら関係がない。楽しんでいただけたら、幸いだ。後半も執筆中なので気が向いたら、このブログにアップしようと思う。熱く、あまりにも短すぎる1週間であった。


Lyrics to Lovin' Touchin' Squeezin' by Journey

 

 ナンパは自己啓発のためのツールだと思っている。一重に主体性を獲得するためだけの闘争だ。僕は長らく主体性を欠いてきた。家庭環境かそれとも生来のものかはよくわからないが、僕の主体性はいつのまにか地中深くに埋もれて出てこなくなってしまった。つらつら語る前に主体性の意味をはっきりさせておかなければならない。僕の考える「主体性」とは、どれほど自分の感情と素直に向き合うことができるか、ということだ。誰にでも感情がある。ただ、自分の感情の流れを明確に掴み取ることができ、それを外部に表現することができる人は案外少ない。何故なら、そういう作業は、ひたすら目の前の残酷な現実と向き合い、傷つくことを嫌わない強靭な精神が試されるものだから。みんな自分が何を考えているのかわからないまま、わかりたくないまま、社会、人の流れに流されていく。流されていくのは心地よい自殺だ。――なんかよくわからないけど不安だ。アマゾンのオススメ商品全部ポチッちゃった。本当のアタシ。道端で声をかけてきた男に言われるがまま、ホテルに来た。セックスした。自分探しの旅へレッツゴー――。

 では、なぜナンパだけが主体性の獲得に役立つのか。決してそうは思わない。自分の感情を揺さぶるようなものであれば、なんでもいい。そして大概の人にとってそれは人間関係だと思う。要は、人とのつながりの中で自分の「本当の気持ち」とか言ったものは見つけられるってことだ。特に男性諸氏に限っては男女関係、女をモノにするのがいかに重要かっていうのは多くの人が賛同してくれることであろう。女は偉大だ。僕を興奮させ、笑わせ、困らせ、傷つけ、苦しませ、そして怒らせる。それらの気持ちと真摯に向き合うことで、自分が本当は何を欲しているのかといった目的が見えてくるものだと思う。女の子を愛する心とかセックスがしたいとかそういった目的は差し置いて、人との関係の中で自分の立つべき場所を探すというのが、少なくとも僕にとってのナンパの意義だと思っている。昔の僕は偉人達の前で身をすくませて、ずっと自分の殻に縮こまっていた。家の外を出たら、僕を傷つける人でいっぱいだ。だから、大学に入学してまるまる2年は家と学校の往復の日々が続いた。自分でもそんな生活はダメだなんてわかっていた。だから、街へ出た。自己啓発物語の始まり始まりだ。ところがどっこい物事はそんな簡単に進まない。半ひきこもりだった僕がいかにしてPUAになったかなんて触れ込みを出したら、ミリオンセラー間違いなしだ。だけど、現実は違う。僕は街を歩く女の子達に一斉チンピクしなかった。なんていうかみんな幼女に見えた。何を隠そう僕は引きこもっている間に白人好きに変貌していた。がっしりした骨格、それを覆うふくよかなお肉(デブ専じゃあない)。女の曲線。青や緑の瞳。僕の理想の女像は白人であった。詳細はブログを見てもらいたい。なんか恥ずかしいのでリンクは載せません。とにかく、僕は白人の女を探し求めて昼夜歩いた。しかし、歩けども歩けども彼女たちは現れない。それもそうだ。ここは日本。かつての大東亜共栄圏の盟主、Samuraiの国、大和国家だ。そして、そこに住む女の大半が大和撫子だ。

 こうして、毎日、何時間も白人女を探しては諦め、時々、発見しては地蔵しての生活を繰り返すうちに、だんだんとナンパから離れることになったのは自然の成り行きであった。僕は自分を変えるための最後の砦からも見放された。

 ある日の夕方、いつものように、何1つ収穫がないまま、僕はトボトボと路地裏を歩いていた。寂しさと情けなさに押しつぶされそうになりながら、誰もいない路地をひたすら歩き続けた。晩秋の木枯らしが僕を責めるように吹き付けてくる。お前は何をしている。その年で、隠遁老人みたいにお散歩生活を続ける気か。このAFCめ!

 すると、どこからやってきたのか、風に飛ばされた1枚の古ぼけた紙が僕の足にからみついた。拾いあげて読もうとするも染みだらけでほぼ解読不能だ。しかし、一文だけははっきりと読み取れた。

 

 「求ム! 戰士! 股閒ノ竹槍デB弐十九ヲ撃墮セヨ!!」

 

 面白そうじゃあないか。

 

 時は飛んで、12月30日。僕はLAのPerchというルーフトップバーの柵に寄りかかってビールを飲んでいた。前方を見やると、竹槍軍の大将公家シンジがズンズンと僕の方に近づいてきていた。真顔だ。僕の前で止まって一言、言い放つ。

 「自分、何してるん?」

 彼は怒りともなんともつかない表情で僕を真っ直ぐ見つめてきた。とっさのことで、僕は口籠ってしまう。

 「女の子放ったらあかんよ」

 横では、アジア系の女の子が2人何やら話している。金髪と黒髪の2人組だ。金髪の方は参加者のラッチョさんが担当していて、黒髪は僕の担当だった。金髪はラッチョさんを異常に気に入っていて、セパりたがった。ラッチョさんの腕に抱きついた彼女は僕の目を見てウィンクする。

(アタシは彼とヤルから、あなたはこの子をヤッちゃって!)

誰が見ても明らかなメッセージだった。しかし僕はビビリにビビった。こんな物事がトントン拍子に進むなんて予想だにしなかった。初めてのコンビナンパの感動、戸惑いとか色々な感情で僕の脳みそは完全にショートしていた。狼狽えたまま、金髪に急かされるまま僕達はセパを開始する。

「あなたは何の仕事をしているの?」

黒髪が僕に尋ねる。

「ギタリストだよ」

嘘です。ギタリストなんかじゃない。ただの学生だ。

「スタジオギタリスト?プロのコンサートとかでも弾くの?」

「……」

 自分の仕事の設定なんて全く考えていなかった。適当に即席の言い訳で難を逃れるも、2人の間の空気が少し淀んだのは明らかだった。その後も、当たり障りのない会話を続けるが、どんどん気まずくなっていく。今考えてみると、僕は逃げ腰だったし、我々の本来のターゲットではないアジア系の女の子だったから乗り気でもなかった。しかし、相手が誰であれ全力でコミットするのが筋であった。本当のことを言うと、彼女が僕のことをどう思っているのかを知るのが怖かった。私にはふさわしくない。つまらない男。自分の胸の中がどんどんこわばっていくのを感じる。僕はそれから逃れたい一心で戦線離脱した。そしてシンジさんは戦闘を放棄した自分に怒った。

 PUAは常に主体的でなければならない。僕はビール片手にバーを見回す。みんな友達連れで楽しそうに談笑している。PUAとしてこの場に来た者は我々竹槍軍だけであった。メンバーは皆、いつのまにか下の階に移動していて、僕は取り残された。そのバーはPUAに見捨てられ、Abandoned Frightened Chickenが1人佇んでいるだけであった。

 

 1月1日。僕達はさしたる結果も出すことなく、泥沼戦へと突入していた。場所はダウンタウンのルーフトップバー、The Standardだ。僕は突撃隊長のロデオさんを観察していた。彼は初日から勢いを衰えさせることなく、活発に声掛けし続けていた。例え、目のくらむような美女のグループであろうとお構いなしにぶっ込んでいく彼の姿にどれほど勇気づけられたことか。同時に、一心不乱に声掛けを続けるその背中からは、彼の苦々しい過去の記憶も読み取れた。もしかしたら、彼自身、声をかけるのを怖がっていたかもしれない。しかし、そんな恐怖をはるかに凌駕するような強い信念が心の奥底に流れていたはずだ。彼は、自分の意志でこのLAまで来て、自分1人でもなんとか道を切り開こうともがいていた。たいして僕は、なけなしの金でLAまで来たのにも関わらず、ずっと何かを待ち続けていた。チャンスが来ても逃げ続けてきた。正直言ってどん詰まりでどうしようもなかった。ロデオさんは息をつく暇もなく、周りの集団の中につっこんでいく。カウボーイハットにサングラス、そして首に巻いたファーが強烈に似合っていた。声をかけるごとに、人々はそれを褒め、瞬く間にグループの中のスターへと変貌していく。僕は為す術なく立ち尽くす。インディアンがかぶっていそうな羽のついたマスクを頭にかけていたが、誰も気にかけるものはいなかった。僕は自分のマスクに負けていた。LAに来れば何かが変わるとでも期待していたのか?なんにも変っちゃいない。何のためにここにきた?一日中馬鹿みたいに突っ立って、バーで仲間の活躍をぼんやり見つめるために?ジコケーハツとやらはどうなった?

 ふと、顔を上げると、ある女の姿が目に入った。人の輪から少し外れて1人楽しそうに踊っている。銀色の派手でピチピチなドレスが彼女の体の動きに合わせてクネクネ曲がり、バーのライトをキラキラと反射させていた。いい体だ。考える暇もなく、僕は彼女に突撃する。

  “Hi!”

  “Good Evening! Nice mask!”

そう言って彼女は僕のマスクを触る。――Good Evening IOI.

 僕達はしばらく立ち話をしていた。何を話したかは覚えていない。とにかく彼女を引き止めることだけに注力した。僕が話している間に、竹槍軍のメンバーは別のタゲを探しに、Perchへいってしまった。僕を怒ってくれるシンジさんも、アドバイスをくれるクラトロさんもロデオさんもいない。孤軍奮闘だ。不安はあまりなかった。これを逃したら二度とチャンスがないのは明らかであったし、彼女の楽しそうな顔を見ていると不思議と行ける気がした。

 ある程度和んだところで、彼女の肩を抱いて、人気のないソファへと連れていく。食いつきは十分あった。ルーフトップバーの風は強い。ミニスカートを履いていた彼女は寒そうにしていた。僕は彼女の腿にそっと手を置いた。

「寒そうだし、屋内で飲まないか」

「どこかいいところ知っているの?」

「俺はビバリーヒルズに部屋をとってるんだ」

彼女は無言で微笑む。

「暖かいし、広いから君の好きなダンスも踊れるぜ。Japanが生み出した世界最高のビール、KIRINも置いてある」

彼女はお金持ちには見えなかった。その証拠にマリファナ中毒のホームレスが闊歩するダウンダウンに住んでいた。連れ出しの説得力としては抜群のはずだ。

「あれ?私の友達はどこ?」

僕の言葉を無視するように、彼女は立ち上がった。とっさにロデオさんの言葉が脳裏に蘇る。

「女の子を一度セパったら、再び友達にくっつけちゃいけない。女の子が取る行動の主導権は常に握っておけ」

完全にまずい流れだった。突然のことにひるんで硬直してしまう僕にお構いなしに、彼女はスタスタと歩き始める。僕の脳内は再びショートを起こす。彼女を友達に会わせていいのか?無理矢理止めたりしたら、機嫌を悪くさせるのでは?どの言葉が彼女を止めるのに最適か?

 僕はまたしても嫌われるのを恐れた。アホのように彼女の後をついていく。友達はウォーターベッドでじゃれ合っていた。彼女はそこに飛び込み、楽しそうに彼らと自撮りを始める。僕はといえば、ウォーターベッドの側で突っ立って,ぼんやりとその光景を見ていた。最高にダサかった。完全に自分の心の弱さが招いた結果だった。AFCもここまで極まると清々しい。PUA公家シンジとPUAクラトロの顔を思い浮かべる。僕はLAにPUAとしてきたはずだった。日本でも草分け的な存在の2人とナンパできるのは光栄極まりないことだったし、彼らが率いる日本代表として、その名に恥じない男でなければならなかった。彼らがAlternativeでFakeでConvenientな男に落ちた今の僕の姿を見たらどう思っただろう。

 泣きそうになりながら、ふと横を振り向くと、目がくらむようなモデル体形の美青年が立っていた。Selfieに勤しむ彼らをぼんやりと眺めている。彼は、彼女の友達の1人であり、自分はゲイだと言った。

“How can I fuck her?”

彼女を指さして、本当にアホみたいな質問を彼に投げつける。ゲイの男に、どうやったら女をヤレるか聞き出すなんて、この先2度と経験することはないだろう。それほど僕は絶望していた。

 “Just tell her you wanna bang! Fuck her!”(パンパンしたいってそのまま伝えてファックすればいいだろ!)

彼は呆れたように吐き捨てる。

“Thanks, man.”

 もう失うものはなかった。僕は1度彼女に捨てられた。そして、AFCとして彼女の下僕のようにつきまとっている。これ以上の屈辱はない。終わりだ。帰ろう。

 しかし、なんと憎たらしい我が女王はもう1度チャンスを与え給うた。さっきまで矯声を上げながら自撮りに夢中になっていたのに、急に冷めた顔つきになってトイレへと向かっていった。咄嗟に、ショートしてすっかり焦げ付いてしまった頭を整理し直し、計画を練る。制限時間はあっても5分ほどだ。

 彼女がトイレから出てきた。こちらには気づいていない。僕も彼女には気づいていないふりをする。そして絶妙なタイミングを見計らって目を合わせ、長年離れ離れになっていた親友を見つけた時のような、驚嘆と歓喜の顔を作ってみた。

 “Hey!”

彼女が微笑んだ。

 “I wanna fuck you.”

――とは言わなかった。

 “It`s been so long, my friend! Why not drinking together? I wanna hear how you were dong!”(久しぶりだな友よ!一緒に飲まん?元気にしてた?)

 “Hahaha. Sure! Let`s get some alcohol.”(もちろん!飲みましょ!)

 僕は彼女の手を引いてバーへ行く。僕は1番安い8ドルのビールを、彼女は12ドルのパイナップルのカクテルを頼んだ。財布から8ドルを出し、後ろを振り返るも彼女は直立不動のまま僕をじっと見つめ返すだけだった。まずい、こいつ俺に払わせる気だ。僕の頭の中の回線がまた熱くなっていく。これは払うべき?彼女はただ酒目当て?どうやって断ったら雰囲気を壊さずに済む?もうナメられちゃいけない。公家シンジならどうする?クラトロならどうする?畜生なんたって高いカクテルなんか頼みやがるんだ!俺はギタリストなんかじゃない。LA行きの航空券に全財産はたいた、ただの学生だ!

 “12!”

バーテンがそう言い放って僕を見つめる。彼女も僕を見つめる。また僕は負けた。自分の財布から12ドルが離れていくのをぼんやりと眺める。どこぞの即れるかも知らない女にまんまと財布を開いてしまうAssholeでFoolishでCheapな男とは僕のことであった。

 これ以上こいつに負けられない。鼻を噛んだティッシュのように捨てられ、金も取られ、引き下がるわけにはいかなかった。僕はファックしたいのではなく、ファックしなければならなかった。

 カクテルを片手に持ち、音楽に合わせて楽しそうに体を揺らす彼女の腰に優しく手を回し、求愛の言葉を囁く。彼女に何を言ったかは覚えていない。とにかく、何故自分たちがビバリーヒルズで2人っきりでダンスをすべきなのかをゆっくりと、しかし熱をこめて語っていた気がする。何か気のきいたことを言おうと頭を悩ませる必要はなかった。僕はその場の流れに身を任せて、ひたすら頭の中に浮かんでくることを彼女の耳に流し込んだ。彼女は心地良さげに耳を傾けて、微笑んでいた。

 僕は、彼女の左手にあったカクテルを手に取り、テープルに置いた。そして、彼女の手を握ってゆっくりと出口へと向かう。

 「友達に先に帰るって伝えなくちゃ」

 「そんなのは後でメールすればいいだろう。彼女達はウォーターベッドで楽しんでいる。邪魔しちゃダメだ。俺達は俺達でビバリーヒルズを楽しもうじゃないか」

 緊張が全くなかったかといえば嘘になる。今に至るまで何度も不測のじたいを経験してきた。これから起きない保証はない。最後の関門はUberであった。Uberとは、世界中で人気を博している配車サービスで、スマホの操作1つで、運転手が自分がいるところまで直接迎えにきてくれる画期的なサービスだ。しかし、現代科学の賜物といえど何かしらのミスはありえる。その間に彼女が冷めてしまったらどうしよう。僕は震える手でスマホを操作した。

 運転手に僕の思いが伝わったのか、割とスムーズに迎えに来てくれた。彼女を奥に入れて、その隣に座る。10分ほど経つと、僕らはダウンタウンを出て高速に入っていた。後ろを振り返ると、ギラギラと輝くダウンダウンの高層ビル群が小さくなっていくのが見える。シャブ中が闊歩する小汚いストリート、夜伽を求める男女が入り乱れるバー、彼らの欲望を照らしだし光輝く巨大なビル群。そんなダウンタウンはすでに遠く離れ、1つの小さな光となり、今にも消え入りそうだった。

 僕は彼女の方を振り返り、優しく抱き寄せ、そしてキスをする。ちょっとだけ。ちょっとだけPerfectでUnbelievableでAmazingな気分だった。

 

                                    酋長

英語について語ろう

 公家シンジさんのブログ、『国際派ナンパ師が教える英会話上達の9つのステップ』に触発されたので、僕も英語について語ろうと思う。

 僕は海外旅行経験はあるが、最長で3週間ドイツにいたぐらいで、在外経験などは一切ない。それでも、客観的に見たら、平均的日本人よりははるかに英語を達者に話せる。外人に話しかけて、"Your English is good" "Yes it is hahaha."というやり取りは何百回も経験した。読み書きの方も受験勉強でしごかれたので強い。TOEFL iBTの点数は90点で正直これは微妙だ。リスニング力が明らかに不足している。

 さて、上記の感じの僕が英語について、いくつか項目を分けて語る。はっきり言って、僕のやり方が1番効果的だと思う。基本的に日本人の英語読み書き能力はそこまで悪くないので、会話、聞き取りを中心に話す。ちなみに、TOEFL iBTの点数で言うと、日本人の英語力はアジアでほぼ最下位で、モンゴルや北朝鮮と肩を並べている。

 

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去勢された者達

  今日、四条の祇園祭に行ってきた。というよりも、四条通りに行ったら、道路が歩行者天国に変わっていて、祇園祭が開催されていることに気がついた。祇園祭自体は7月中ずっと行われているが、7月14日から16日は、前祭宵山と呼ばれる前夜祭的な期間で、17日のピークと合わせて1番盛り上がる時期だ。四条通りを西に真っ直ぐ行くとぶちあたる烏丸通では、露店が立ち並び歩くのも困難なほどの混み具合だった。夏前の気温も相まって熱気はすごい。

 安心してほしい。祇園祭のレビューを書くつもりなどはない。今日はタイトル通り、去勢について書こうと思う。京都の一大伝統行事と去勢、何の関係が!?と思われた人がいるかもしれない。おおいに関係アリだ。

 僕は祭りとかいったものが大好き……だった。厳密には祭りではないが、初めて1人で渋谷に行った時のことをよく覚えている。まぁ、渋谷ってのは毎日が祭りみたいな空間だから祭りと呼ぼう。あるいはハレの舞台とでも。中学2年とかそのくらいだった気がする。母親に自分で服を買いに行くよう言われ、バスで20分ほどかけて渋谷まで行った。衝撃だった。目の前を弾丸のように高速で通り過ぎる人びと。耳をつんざくような不快音を発するスクランブル交差点のビッグスクリーン。髪をうず高く盛ったギャル男やヤマンバ(当時はすでに希少生物だったがチラホラ見られた)。自分の家のすぐ近くにこんなとんでもない場所があるとはつゆ知らず、服を買うのも忘れて1日中歩きまわった――。まぁ、僕が言いたいのは祭り好きだったということだけで、渋谷の話は大して掘り下げて話すべきことではない。閑話休題。そんな感じで、他の大勢と違わず、非日常の世界をこよなく愛する人間だった。

 今回、熱気あふれる人混みを歩いていて気がついたのは、完全に冷め切った自分の姿だった。久しぶりにナンパでもするかと思って、フラフラ歩いてみたのだが、全く気分は高まらないし、声をかけたい気も起きない。仕方なしに近くを歩いていた人に無理矢理声をかけたのだが、後ろ姿からは想像できないほどのオバサンで、しかも小さな声で話す人だったので、僕は「アァ?」と何回も聞き直してしまい、気まずくなって逃げた。あれは失礼だったしキモかったと思う。

 帰り道、鴨川沿いを走りながら、なんで自分はこんなにパッションの薄いつまらない人間になってしまったのだろうとずっと考えていた。で、考えついた結論は、自分には「ケの日」がないということだ。当然だが、ハレの日が成り立つためにはケの日は不可欠だ。ハレの日はケの日からの解放としての役割があるから、ケの日が存在しなければ解放もクソもない。で、ケの日がないというのは、明らかに自分の怠惰な大学生活のせいだ。僕の大学(学部)は授業に出ないでも簡単に単位は取れるので、普段僕は大学に行かない。川沿いで本を読んだり、図書館のパソコンで調べ物をしたりしている。要するにダラダラしている。ケの日とは、古の農村社会では仕事をする日、つまり人生の大半を占める過酷でストレスの溜まる農作業の日々であった。そういう生活をしていると破綻が来るのは必然なので、ハレの日に一気に爆発させていた。僕の場合、ストレスが溜まることなどないので、爆発させるものがないのだ。去年、大学の知人とご飯に行った時に、彼が「我が人生穏やかなる海のごとし」的なことを言っていて深く共感したのをよく覚えている。

 まぁ、生きてるのつまんねーっていう話である。怒らないで下さい。自分でも楽しもうとして、こんな凡庸なことをまわりくどく書いているんだから。

 やっぱりメリハリは大事だ。ところで、メリがケでハリがハレなんでしょうかね?ちょっと日本語が危うくなってきた。

 ストレス社会に生きているあなた。学生ニートの僕がうらやましいだろうけど、僕もあなたがうらやましいです。溜めて溜めて休日に思いっきり射精する。それこそ濃密な人生ではないでしょうか?ストレスは最高の精力増強剤です。高麗人蔘なんか食べてる場合じゃない。その昔、橋下市長が、沖縄の米兵はストレスで性欲が有り余っているんだから、売春婦をあてがってやれ的な事を言って顰蹙を買っていたけれど、この発言の是非はともかく、軍隊とかの過度な抑圧のもとだと人一倍性欲が強くなるということに限っては正しいと思う。毎日が退屈だ、性欲が沸かないなどのお悩みを持っている方は、自分を強制的に抑圧下に置く状況を作ってみてはいかがだろうか。自分はできるかぎりオナ禁をしようと思っている。後、無駄にしか思えないが大学の課題に力を入れようと思う。

弱い者達、強くあろうとする者達、強い者達

 井上雄彦の『バガボンド』が好きだ。オススメの作品なのだが、代表作の『スラムダンク』のようなものを期待する人にとっては、いささか拍子抜けするマンガだ。というのも、主人公の宮本武蔵(そう。実在した剣豪武蔵のことだ)が剣の修練を通して、ひたすら禅問答をすることに終始しているからだ。

 ネットの評判を見ると、「牛歩漫画」「よくわからない自問自答の繰り返しで飽きがくる」みたいな感想で溢れている。僕もそう思う。漫画全体で武蔵が煩悶していることのほぼ全部が、僕にとっては不可解でしっくりこない。最近になって久しぶりに読み返したのだが、ほとんどの部分を惰性で適当に読み流していたというのが正直なところだ。

 では、何故この漫画が好きなのか。それはサブストーリーの主役、本位田又八の存在に他ならない。

 又八は武蔵の幼馴染の農民の子である。村で孤立しがちであった武蔵の数少ない気の知れた友達であり、17歳になって出世のために共に村を出る。しかし、これが2人の人生の大きな別れ目であった。数多くの剣豪を切り伏せ名を上げていく武蔵。一方で、佐々木小次郎の名を借りて、虚構の人生を生き、酒に溺れ、女に溺れていく又八。

 武蔵と又八はともに故郷の村を出たものの、その動機は全く違う。武蔵は、己の全てをぶつけられるようなただ強い相手を求め、天下無双を目指す。一方、又八は村で過保護な母親に見守られながらぬくぬくと生きている自分の人生に恐怖を憶え、村を出れば「新しい自分」が見つかるという妄念を胸に抱く。どこにいたって、自分は自分でしかいられないというのに。ここらへん、詳しくは言えないが、自分と非常に似ていて本当に恥ずかしくなる。

 動機が「自分からの逃避」であった又八は、京の都に来ても、自分を嘘で塗り固めて、必死に面子を保とうとする。自分を佐々木小次郎だと偽り、金を巻き上げ、女を抱く毎日。しかし、彼自身、自分の弱さには気づいていた。人から尊敬され、女を抱くという理想の生活をしながらも、心の中では常に「寂しい、寂しい……」とつぶやいている。それも当たり前のことだ。嘘で自分を塗り固めたって、真ん中にある「空っぽの自分」は消え去らない。

 しかし、又八は現実と向き合えない自分の弱さを見つめることになる。というか、見つめざるを得なくなる。自分を小次郎と名乗ったことがまわりまわって、叔父の死につながり、最後には母の臨終の間際で、自分の弱さに絶望する。

 

おふくろ――

権叔父は浪人者に斬られて死んだ。俺のせいで

佐々木小次郎という名は嘘だ

印可状も嘘

それなりに出世したなんてのも

おつうは悪くない。俺が先に裏切った。お甲という女とくっついて

もっとある

あれも嘘

これも嘘

嘘嘘嘘

嘘が嘘を呼ぶ

嘘地獄

おふくろのように強くない

武蔵のように強くない

ごめんおふくろ――

俺は弱い……

 

息の切れかけた母はこう言う――

 

よう言うた又八

弱い者は己を弱いとは言わん

おぬしはもう弱い者じゃない

強くあろうとする者

もう一歩めを踏みだしたよ

 

更にはこうも――

 

ただ真っ直ぐに一本の道を進むは美しい

じゃが普通はそうもいかぬもの

迷い

間違い

回り道もする

それでええ

振り返って御覧

あっちにぶつかり

こっちにぶつかり

迷いに迷ったそなたの道は

きっと誰よりも広がっとる

 

 又八はどこにでもいる僕達のような凡人だ。自分を正面から見つめることができず、見栄を張ってなんとか生き続けようとする。どこに言ってもそういう人は見つかるだろう。飲み屋で若い人間に説教をするおっさん。twitterでひたすら他人をdisり、自分の学識を披露する人。彼らの声が聞こえてくる。

「俺はすごい。だから、俺を愛してくれ」

 人から褒められったって、権力を得たって、愛されたい欲望は満たされない。

 

 自分を救えるのは自分だけだ。自分に正直になって、嘘を一枚一枚はがしていく作業。苦痛を伴うが、そこにしか道はない。

 僕の中には、まだ、ともすれば嘘で自分を守ろうとする自分がいる。だから、戒めとしてこの文章を書きました。

 

バガボンド(31)(モーニングKC)

バガボンド(31)(モーニングKC)

 

 

日本での外人ナンパ

 難しい。何が難しいかっていうと、1人で歩いている外人の女の子を見つけることだ。大抵のナンパ師はこの問題には直面しない。繁華街に行けばいくらでも魚は泳いでいるのだから。僕は京都に住んでいるので、外人に合う機会は結構多いのではないかと思うかもしれない。確かに多い。しかし、その多くがカップルだとか家族連れだとかだ。イケイケなナウい外人のヤング達がこんな渋い国に来る理由などないのだ。後、『ザ・ゲーム』の中でミステリーも言っていたが、美人は1人では歩かない。常に、友人や代替可能彼氏を侍らせている。試しに京都の繁華街を5時間ほどふらついてみると良いだろう。ぶらぶら歩いている独り身の外人オネェちゃんは、2人見れたら良い方だ。非常に時間の無駄と言える。ただ、見つけた時の嬉しさと言ったら半端ない。浜辺をぶらぶら歩いていたら、沖合の方でシロナガスクジラが泳いでいるのを見た時のように(そんな状況には出くわしたことはないが)、新鮮な驚きと緊張で体がピンと張る。アドレナリンどばどばだ。僕の胸は期待で高まり、電気ショックのようなものが体中を駆け巡る。そして、地蔵する。

 遠くへ去っていく美女の後ろで佇みながら、激しい後悔と自己嫌悪に見舞われる。僕は二度とないチャンスを逃したのだ。

 外人をターゲットにしている人は、間違ってもストナンなんてしないほうがいい。時間を損するばかりだ。僕みたいに友達のいない暇人はいくらでもやってよいが、リターンは限られている。六本木のbarへ行けば、まぁたぶん会えるはずだ。その場合、不良外人とタイマン張ったりもしなきゃいけないかもだが。後、最近考えたのだが、ベルリッツの前とかに立ってみるのもいいんじゃないだろうか。